ものごとの判断基準

書いていてかなりこっ恥ずかしい内容です。ですが、読んでいただいかたに感想が何かしらあるはずなので、この記事を書くこと自体には少し意味がありそうです。時間がありましたらお付き合いください。


選択に迫られた際に、ものごとを判断する基準や価値観を持っていますか?
最近、このテーマについてよく考えます。


なぜこの人はこういう発言をするのだろう?どういう背景があるのだろう?
なぜあの人はこういう判断をするのだろう?どういう判断基準があるのだろう?
なぜこの人はこういうことを面白いと言うのだろう?
なぜあの人はこういうことをつまらないと言うのだろう?
なぜこの人はこの職業を選択したのだろう?
なぜあの人はあっちの道へ向かってしまったのだろう?
なぜ自分はこの道をたどってきたのだろう、なぜ?なぜ、、、?


なぜを使い始めるとキリがありませんね。
そこには人間の判断基準があるはずです。


最近だんだんと分かってきたことがあります。人間というのは小さい頃の環境次第でプラスにもマイナスにもなる、ということです。何がプラスで何がマイナスなのかはよく分かりません。何に興味を持ち、何を選択して、何を学び、どう行動するのか。何を面白いと思ってしまうかが、人生を決める軸になるのではないか―。


危険なのは、進みたいと思った道の先に何があるのか?を知ろうとしないまま道を進み続けることです。選択した道の先はどうなっているだろうか?崖ではないだろうか?道が先細っていないだろうか?草むらをかきわけてでも進む価値のある道なのか―?


まずは自分が興味を持ったことに対して、なぜ興味が持ったのか?なぜワクワクしたのか?を突き詰めないといけない気がします。興味がある、、と思ってしまったことは実のところ、周囲の人や本やテレビに洗脳させられているだけかもしれません。


人は価値観を持っていない裸の状態から始まり、成長と共に価値観を身にまとう生き物だと思います。身にまとう価値観が例えば親や学校からの教育だったり人付き合いやテレビや雑誌から受ける影響だったりするわけです。価値観を身にまとうことが成長とも言えるかも知れません。人の好みは千差万別です。人が違えば価値観も違いますし、行動の判断基準が違います。わたしはひとりの人間なので、わたしが育った環境以外は見ていません。わたし以外の人がわたしと違う判断基準や違う価値観を持っているのは、育った環境や学んできた世界観の違いによるところが大きいのだと分かってきました。他人の価値観や歴史上の人物が述べた言葉を学ぶことも大切だなと最近になって思うようになりました。


なりたい人物像を構築できればあとは簡単です。その人物像を目指すにはどうすればよいか?を考えて勇気を出して追えばよいだけです。結局、なりたい人間像を定めて目指すことが人生の軸を築く一番の近道だと思えてきました。その結果として、絶対的なものごとの判断基準が身に付くでしょう。いわゆるポリシーですね。。


では、なりたい人物像とはどんな人物像でしょうか―?
はてさて、、